副都知事の発言「傑作は除外する」はナンセンス

副知事が「火の鳥」を引き合いに傑作なら規制しないと言っていましたが、傑作はすぐには傑作だとは分からず、後の時代になって話題になるのもしばしばです。例えばバレエの「白鳥の湖」は、作者が生きている間には評価されなかったという話がありますし、、画家のゴッホは生前は絵が一枚しか売れなかったという話があります。傑作は書かれるものではなく、評価されて初めて決まるものです。ですから、条例の改正がこのまま施行されると、規制に引っ掛からないようにするために作品の変更を余儀なくされて、結果的に言いたいことが言えなくなるなどして作品の質が落ちたり、不必要に年齢制限がなされて、年齢制限があるだけで買わない人(僕も含めてアダルトなんかに手を出さないよ、と考える人は多い:それは、見方を変えれば18禁はすべて狂気じみていて、中身がないという偏見でもあるかもしれない)が沢山出てくるなどして、評価されにくくなったりして、傑作があっても傑作にならず、埋もれてしまいます。(多くのインターネットメディアが報道している「表現者の委縮」の意味は、たぶんこんなところだろうと思います。)
人が作品を書くとき、練習として駄作やパロディを書くことから始めることも多いのです。駄作を生むことなくいきなり傑作を生むのは、ほとんど不可能ではないでしょうか。ほとんどは、平凡な作品を書いてを描いて少しずつ評価されていくうちに傑作ができる、というものではないでしょうか。

また、傑作の評価も、価値観の多様化という言葉の通り、今では人によってバラバラです。西洋の古典や日本の近代文学も、時代が変わると、価値観が変わるので、ばかげた話に見えたり、差別的に見えたりすることが珍しくありません。また、他の人には駄作でも、ある人が自分だけ(あるいは、そうでなくても少数派の)心の傷を持っていて、それを癒すことに繋がればその人には傑作です。癒すまではいかなくても、共感できれば秀作です。しかし、こうした作品は他の人から見ると、気味が悪く、犯罪因子だと勘違いすることが多いのです。



過激な漫画は人を狂わせるといいますが、むしろ、漫画で過激な描写を見ることによって、「どう見てもあり得ないよな(あるいは「犯罪だよな」)、こういうのをフィクションっていうんだな」といった学習をする人も多いのではないでしょうか。



なお、前回に書いた都知事がPTAへ垂れ流したプロパガンダ的な偽情報の中身については、下記のページをご覧ください。
空の森 : 東京都青少年健全育成条例。推進派への疑問
http://ironyt.exblog.jp/15523806/