ゴジラで有害図書を考えてみる

漫画やアニメの規制は、漫画を「卒業」した、または知らない多くの人々にはそれほど深刻な影響を与えないかもしれません。しかし、僕は同種の規制が映画や小説やテレビに適用されることを、極めて切実に警戒しています。小説や映画やテレビでは、とっくの昔に自主規制が行われているという話もあるので、自主規制のさらなる拡大は大きな脅威です。日本ペンクラブは抗議をしているのに、なぜテレビは、映画界は黙っているのでしょうか。僕は、「地球の掟」(アル・ゴア)に出てきた、ナチスに関する、ある宣教師の、ユダヤ人や社会主義者が迫害されるのを黙殺していたら、今度は自分が迫害された、という話を思い出します。
今回は、ゴジラを引き合いに考えてみようと思います。

アダルトビデオやオタク漫画や少年漫画の暴力描写が各種の暴力や、暴力の被害者のフラッシュバッグを起こすのであれば、ゴジラもまた、多くの少年漫画と同じく破壊と虐殺を尽くしていて、ゴジラやその他特撮ものを見て人が暴力事件を起こしたり、戦地にいた人には戦争のフラッシュバッグを十分におこしうるものとなるはずです。そもそも、最初のゴジラ終戦後わずか十年と経たないうちに公開されており、しかもかなり暗い作風であったと言います。もし多くの人々がフラッシュバッグを起こしていれば、ヒットはせず、激しいバッシングを受けていたはずです。そもそも、人の心の傷口を開いてしまうという事態は、いくら対策をとっても限度があり、どうしても予想が困難で、言論の自由と衝突してしまう限界があると考えるべきではないでしょうか。
しかし、そんな話は聞いたことがありません。また、ゴジラやその他特撮ものを見て人が暴力的になるという話も聞きません。
だから、漫画やアニメに関しても、本当に害を及ぼすものかどうか、とても疑わしいと思うのです。
逆に言えば、新しい都条例はゴジラや各種怪獣ものをも迫害できると考えることもできます。
バーチャルな世界とはいえ、ゴジラによる大都市の破壊を、子供たちが喜んでいるのは、ほかならぬ真実です。しかし、現実に起こってほしいと思っていると言えるでしょうか。この延長線上で、ありとあらゆる漫画とテレビ番組と小説をを考えてみる必要があるのではないでしょうか。

実際には、アダルトビデオの影響で性犯罪を起こしたという実例はあるようです。では、ゴジラとの違いはなんでしょうか。ゴジラに関しては、人殺しは悪というメディアリテラシーは親や兄弟や近所の大人が、人にかみつくのは悪、人を殴るのは悪、という形で、ごく小さい子供にも知らず知らずのうちに婉曲的に教えている一方、アダルトビデオに関しては、性教育が全く十分に行き届いていない、という事になるのではないでしょうか。一番必要なのは、規制ではなく性教育メディアリテラシーなのではないでしょうか。

都知事は今回の青少年健全育成条例の成立に伴って、PTAに向かって数々の「プロダガンダ」を駆使したという噂が出回っていますが、もしそうであれば、こうしたメディアリテラシーの欠如を某都知事は悪用したと言えそうです。

もっとも、小さい子供には性教育などには当然限度があり、ゾーニングは不可避といえるかもしれません。しかし、行政から一方的に指定するのは、極めて好ましくないでしょう。いくら民主主義や三権分立などの対策をとっても、権力は腐敗するもだというのは、天下りを見れば明らかです。また、世の中は0と1ではないので、年齢制限なしか18禁というのは極めて不適切です。この件については、http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/e96600efaf6807299e27edbdad261470
「マンガ規制条例可決」で表現を殺さないために - 保坂展人のどこどこ日記
も参照してください。



参考、おすすめ他:
ゴジラの論理―解釈学の鬼才が説く「ゴジラの時代研究序説」小林 豊昌

思想の身体 性の巻 大越愛子、井桁碧編、森岡正博岡野治子、金成禮、島薗進
この本の、森岡正博さんの話




ついでにリンク
不快な物を見たくない権利、並びにゾーニングについて、雑感。
ポポイの日記
http://d.hatena.ne.jp/popoi/?of=5